宮本百合子

 一やかんもの熱湯を髪の癖なおしにつかって、一時間位鏡の前に座って居た彼の女をよく云うものはない。
 頭の地にすっかりオレーフル油を指ですりつけて、脱脂綿で、母がしずかに拭くと、細い毛について、黄色の松やにの様なものがいくらでも出て来る。
 小半時間もかかって、やっと、しゃぼんで洗いとると今までとは見違える様に奇麗になって、赤ちゃけて居た髪もすっかりつやがよくなって来た。
 よっぽど気持がいいものと見えて目をつぶって、フンとも云わないで居たのがその勢で、すっかり眠ってしまった。
 あんなに可愛い可愛いと口ぐせの様に云って居ても、他人はやっぱり他人だと思う。
 四時頃になって少し涼しくなってから、わきに濡手拭を引きつけて、汗をふきふきこれを書き出す。
 段々気が入って、ペン先の中に皆自分がこもってしまった様になると、背中の方から段々暑さが忘られて来るのが真に快い。

 人類の伝説には、天から火を盗んで人間生活にもたらしたプロメシウスの物語がある。山林の自然発火から学んで、めいめいの小舎の炉ばたにまでもちきたされるようになった火というもの、文明の源泉を人間が掌握したおどろきとよろこびを、プロメシウスの物語は力づよく語っている。
 私たちの生きている今日という時代には、できあいの智慧、販売されている知識、多量生産標準型の聰明さというふうなものがあんまり多い。人生的であり、生活的であるからこそ厳粛でもあり、美しく、またかがやかしい人間の智慧、知識が、それぞれの人の生きかたによって整理され、組合わされたものでなくて、模写されているだけの場合がすくなくない。教養のある女性が、とかく観念的であるといわれることは、どこに理由があるのだろう。女性は、みずみずしい智慧のいのちをとりもどし、それをわがものとしなければならない。

 絹子は、剥きかけたオレンジをそのままたべもせず皿に置き、うつむいてフィンガー・ボウルに指先を濡し、いった。
「もう二年ぐらいになるわ、そんなところへ行かなくなってから……いよいよお婆さんになるばかりね、ですもの」
 佳一は、楓の大きい姉ぐらいにしか見えぬ絹子が、自分からよくお婆さんという、いわれる度に、妙な居心地わるい気持になった。彼は、自然に話の調子で、
「お連が面倒なら、僕お伴してもいいですよ」
といった。
「そう? でもお気の毒ですわ、もう御覧なったんですもの」
「平気! それは。ウィンダアミア夫人の扇だって二度見たんですもの」
「そうお?――じゃ御一緒に願おうかしら……早い方がいいわね」
「場所が悪くなりますね、あとだと……」
「夜私あけられないから、昼間でなくちゃ都合わるいんだけれど――あなた、でも本当に御迷惑じゃいらっしゃらないの?」
 絹子にとって、活動見物は一つの冒険であるらしく、俄に活気を帯びた眼の輝きや、さり気なく小声になった相談が、ふと佳一の興味を捕えた。
「小さいひとがやかましいし、いろいろだから……じゃ明日お午っから出ましょうか。七時までに帰れますわね」
「でも……榎さん明日お出かけですか」
「出るでしょうきっと。……きのうは十一時ごろ出てったわ」
 絹子は、薄い肩をちょっと引そばめるようにして笑った。
「今日は?」
「さあ一時過ぎてたかしら」